2008年12月03日

観音様は最高の神仏

DSCN1871.JPG観音様は最高の神仏 観音様は一番御位が高い。八百万の神仏中一番高い御位です
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2008年09月20日

医学の盲点と自然良能力

現代医学の誤っている事は、常に私の唱えている通りであるが、その中で最も誤っている点は何かという

と、人間が先天的に保有している自然良能力を全然無視している事であって、それは斯うである。

 今仮に、病気に罹るとする、早速お医者に診て貰うと、お医者は 「早く来てよかったですね、若し手

遅れになると飛んでもない事になる処でした」 というのはよく聞く話であって、全く医学では発病する

や放っておくと、益々悪くなるように思うからである。そこで極力それを喰い止めるべく薬剤をはじめ、

種々の療法を行うのであるが、之をみても医学は手遅れになるのを大いに嫌い、何でも早い内に喰い止め

なければいけないと思う点に、大変な誤りがある事を教えなければならないのである。何となれば病気と

はいつもいう通り毒素の排除作用であるから、其の儘放っておけば順調に排除されて了い、病気は治るに

決まっている。即ち熱、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、痛み、痒み等凡ゆる苦痛が其の為であるから、少し我

慢さえすれば、汚物は出るだけ出て体内は綺麗になるからである。としたら手遅れなどという意味はない

訳である。処が此理を知らない医学は、反対の解釈であるから、放っておく事を非常に恐れ戒める、ツマ

リ出ようとする汚物を出さないようにして、固めるのをいいとしている。之では病気根治など出来ないの

は当たり前である。それから今ひとつの医学の盲点は、よく怪我をしたり、火傷などすると、大抵は膿む

ことになるが、之を又非常に恐れ膿を出さないよう種々の方法を行うが、之も大変な間違いである。とい

うのはそういう刺激によって其の部へ毒素が集まるもので、どんな人間でも必ず相当量の毒素を保有して

いるから、何かの機会があれば体外へ排泄されようとして、忽ち傷口目掛けて集中し、排泄されようとす

るのであるから、化膿の部分が大きい程毒素も多く出る訳で甚だ結構なのである。処が医学は化膿するの

は黴菌が侵入して繁殖する為と、悪い意味に解釈するから、極力化膿を止めようとし殺菌剤などを使い、

冷やしたり、注射したり、安静にしたりして、色々な手当てを行う、という訳で吾々から見れば馬鹿々々

しい程の逆を行っている訳である。処が此殺菌剤が問題である。というのは之れが先ず筋肉から滲透し、

時日が経つと恐るべき中毒作用を起こす事になる、何しろ如何に微細な黴菌と雖も、生物である以上、そ

れを殺す程の薬剤としたら、人体に与える影響も又甚だしいのである。それで消毒剤が古くなると猛毒に

変化し、早晩此浄化が起こる、即ち発熱、痛み、不快感等非常に悪性の悩みで、其際医師に診せると原因

不明の病気と言われるが、何ぞ知らん此原因こそ医療が作ったのであるが、マサカ医師としては消毒薬が

原因であるなどとは夢にも思えないから、治療の施しようもないというのはよく聞く事である。


 此様に人体は、常に汚物排除の清掃作用が起るので、之を称して自然良能力というのである。此様に人

間は生れ乍らに病気を治す自然良能力を有っているとしたら、此良能力を尊重し、発揮させる方法こそ、

真の医学であるべきに拘わらず、反って其の良能力を阻止するのを可として、それを進歩させるのである

から、如何に誤っているかが分かるであろう。之は理屈ではない、何よりも事実がよく示している。仮に

寒冒に罹るとする、之を最初から何もせず放っておけば、前述の如く速やかに治ってゆき、普通一週間位

で済むものを、医療を受けると三週間も四週間もかかる事になる。而も自然療法なら、支障なく順調に治

ってゆくが、医療を行うと仲々治らない。余病が併発したり悪化したりする。中には結核になる人さえあ

る。然し偶々医療で治る事もないではないが、それは医療の妨害に勝つという旺盛な治病力の持主だが、

こういう人は寔に少なく、大部分は溶解毒素が一時的にもせよ固まって全快したようになるのである。


 以上によって大体分かったであろうが、事実現代医学は大いに進歩したように見え、有難がっている処

に其の迷蒙さがあるのである。


 以上によってみても、人間は自然良能力という医療も及ばない程の、素晴らしい治病力を天から与えら

れている以上、之を知っただけでも如何に大きな幸福をつかみ得たかである。処が本教浄霊は、其の自然

良能力をより強化しより促進させる方法であるから、最も進歩した合理的治病法である事を知るであろ

う。
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病気を最も判りやすくいえば病気とは体内にある不純物、すなわち有毒物を 種々の形によって排泄さるるその過程

病気とは排毒作用


 そもそも、病気を最も判りやすくいえば病気とは体内にある不純物、すなわち有毒物を

種々の形によって排泄さるるその過程をいうのである、従ってこの世の中に病気ほど結

構なものはないので、もし人間から病気をなくすとすれば、人間は健康を保ち得ず、到底

長命などは覚束(おぼつか)ない虚弱者となるのである、これが千古不滅の真理であっ

て、これを基本として成った医学こそ真の医学である、ゆえに、もしこの真理に外れたい

かなる医術といえども、それは真の医術とはいえない疑似医術であるから、到底病気は

治し得ないのである。


 そうして有毒物とは、彼の喀痰、鼻汁、喀血、出血等の汚血や、膿汁、下痢便、濁尿、

汗、唾液、目脂(めやに)、涙、耳ダレ、発疹、皮膚の紅潮、仝〔同〕斑点、田虫、水虫、フ

ケ等々であって、まず喀痰、鼻汁、汗、濁尿等の排泄作用が感冒であり、下痢や痔出血

等は全身毒素が腹部へ集り、肛門から排泄されるのである、また膿汁毒血等は腫物によ

って排泄され、各種の毒血は天然痘、麻疹(はしか)、猩紅熱(しょうこうねつ)、発疹チフ

ス、疥癬等によって皮膚面から排泄され、その他は毒素はそれぞれ、種々の形によって

排泄されるのであるから、病気とは換言すれば、人体の清掃作用である以上、清掃され

た結果は血液が清浄化するから、健康を増すのである、そのため血行の循環はよくな

り、殺菌力は強化され、体力強靭となるから罹病し難くなり、精神的には爽快感の持主と

なり、楽天的となるのである、これに反し、常に寒冒に罹りやすく、絶えず不快で、根気な

く怒りやすく、憂鬱で、神経衰弱や結核に罹りやすいのは、濁血が原因であるのは言うま

でもない、そうしてあらゆる病気の中でも、最も簡単にして健康上効果顕著なのは感冒に

越したものはないのである、従って、出来るだけ寒冒に罹るようにするのが最もよいので

あるから、常に感冒に罹るよう心掛ければ、結核及び神経衰弱などに犯される事はない

といってもいいのである。


 しかるに、この理を知らない医学は、およそ反対の解釈であるから、いかに誤っている

かが判るのである、何よりも今日医学は進歩せりと言いながら実際的効果ははなはだ疑

問である、むしろ進歩すればする程、真の医道と遠ざかるばかりである、見よ、今日寒冒

の原因すら不明であり、結核の解決さえもいかに苦心努力しても思うようにならないという

に見ても明らかである。


 右の理によって、今日至極簡単な病気でさえも容易に治らないのは逆療法によるからで

ある、事実、吾らからいえば、病気なるものは、まことに容易に治るものである、それは神

が与えた清掃作用である以上、不純物がある程度溜れば人間自身が持っている良能力

の活動が発生し治るからであってみれば、ほとんどの病気は、何らの手当もせず自然に

放任しておくだけで速かに治癒するのである。


 ところが、いつの時代か判らないが、前述のごとく、病気を逆の意味に解し成った医学

である以上、いか程進歩したとても治るはずがない、それどころか反って苦痛は増し、生

命にまで危険を及ぼすのであるから実に恐るべきものとし、適当の手段を行わなければ

安心出来ないという訳で、誤りを解決するのに誤りをもって発達したのが今日の医学であ

る、とすれば、何と恐るべき愚法を続けて来たかと言えるのである、しかも、これがため何

百何千年間人類はいかに大なる犠牲を払って来たであろう、それらを考える時全く聖書

にある禁断の果実とは医薬をいったのではないかとさえ怪しまれるのである。


 しかしながら喜ぶべし、いよいよ天の時至って、この誤謬の真相を開明し、病なき世界

を出現させようとするのであるから、近き将来すべて人間の寿齢は百歳以上は可能とな

り、且つ無毒者が殖えるに従って、病なく貧なく争を好まない人間が増える訳で、吾らのモ

ットーである地上天国の実現は近づきつつありと確言するのである。


 もちろん、かくのごとき空前の大救業は神の大愛の発露と時期到来にある事はもちろん

で、その最も基本的条件は、人間から病を除去する一事で、そのための主要なる点は、

医学の是正でなくてはならないと共に、ここに始めて一切の誤謬は解決し地上天国は成

立するのである。
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風邪とは何か

風邪とは何か
 
 人間が社会生活をするうえで、風邪を引かないようにすることは可能であるかどうかを考えてみるべき

である。恐らくこれは絶対不可能であろう。どうしてかというと、風邪を引くということは寒い思いをす

るためとされている。ゆえに就寝の際寝巻を着替えるとき、起床の際衣服に着替えるとき、入浴の場合ま

たは降雨や寒風の際の外出などはいずれも風邪引きの機会になるからである。だから、風邪を引く機会を

一日といえどもまったく避けることは誰にもできない。

これについて、わたしは人があまり気が付かない点を説いてみる。それは実際上、必ずしも寒い思いをし

ても風邪を引かない場合もあり、また風邪を引く場合もあることである。それはどうしてかというと、寒

い思いをしても風邪を引かないのは全然熱のないときであるが、寒い思いをして風邪を引くのは、微熱の

ある時である。その理由はこうである。微熱があって風邪を引くという場合は、実は風邪を引きかけてい

るとき、すなわちその前駆としての微熱であるから、その場合寒い思いをしてもしなくても風邪を引くこ

とになっているのである。またとくに微熱のある場合は、寒い思いをしなくても悪寒があるから、どこに

いても、厚着をしても非常に寒いのである。

 しかし、ここでとくに知っておかなければならないことがある。それは気候が変わり、寒気に触れる場

合、その寒気に順応すべく浄化作用が発生する。そのための感冒もあるが、これは予防不可能である。

 以上のごとき理由を考えるとき、風邪に罹らないようにすることは絶対不可能であることが分かる。し

たがって、風邪を引かないように注意するなどということはできない相談で、何らの意味をなさないばか

りか、寧ろ神経質になるという悪影響さえこうむるのである。わたしは思う。世の中に注意によって風邪

を引かぬようにでき得る人がひとりでもいるだろうか。

 そもそも感冒とはいかなるものであろうか。医学においては今以て原因は不明とされている。先ず人間

健康及び不健康はいかなる原因によるかというと、それは血液の純不純によるのである。人体は不断に

浄化作用が行なわれており、その結果として血液中の汚濁分子は一定の局所に集留、凝結する。すなわち

先に説いたように第一浄化作用であり、ついで第二浄化作用が起こり、凝結毒素の排除作用が始まる。こ

れを称して感冒というのである。そうして発熱によって凝結毒素が溶解し、液体化し、喀痰となるが、喀

痰はいったん肺臓内に滞留する、それを咳というポンプ作用によって吸出排泄する。この理によって、感

冒とはもっとも簡単なる浄化作用にして、健康は増進されるのである

 ゆえに、感冒とは自然生理作用である。
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体内の入浴

私は現代医学の誤謬を常にかいているが、何しろ今迄長い間病気は医者と薬という事に決まっているので

あるから、吾々の言う理屈は成程と分かっていても、思い切って実行する事が出来ないのが、大抵な人の

想念である。だからそういう人達の為に、出来るだけ分り易く、茲にかいてみようと思うのである。

 それに就て一番判り易い病気としては、何といっても風邪であろう。そうして先ず風邪を引くやイキナ

リ熱が出て、咳や痰、汗、水ッ洟、頭痛、節々の痛み等の苦しみが発るので、早速お医者に診て貰う。処

が之に問題がある。誰しも風邪位と思っている半面、ウッカリすると、どんな事になるか分らない、或は

大病の始まりかも知れないという心配が頭を持ち上げてくる。そこでお医者の言う通りにして治るのを待

っている。又人によってはアスピリンや葛根湯を煎じて服むとか、御手製の玉子酒、蜜柑の黒焼などを呑

んで、ウント蒲団を被り、真赤になって汗を出す行り方である。又懐の温かい、臆病な人は、そんな姑息

な方法は出来ないとして、手遅れになっては大変だそれこそ取り返しがつかないと、普段から信用してい

るお医者に駆けつける。そこで色々お医者に訊くが、何しろ風邪の原因すら分っていない医学の事だか

ら、ハッキリ説明が出来ないので安心は出来ない。それも其筈、お医者自身でさえ肚の中では、或は肺炎

になるかも知れないという懸念のあるからで、そこで先づ安静第一と、精々御大事にしなさい位の御座な

り的言葉なので、心細い事夥しい。といって外にどうしようもないから、ビクビクもので、一日中体温計

と首ッ引きであるのを、吾々から見れば実に滑稽至極である。

 処がいつも言う通り、風邪位結構なものはないので、体中の何処かしらに溜まっている毒の掃除である

からで、即ち熱の為に溶けた痰や水ッ洟、汗などが出るだけ出れば治って了い、後はサッパリして健康

増すからである。つまりロハで体内の掃除が出来るのだから、斯んな有難い話はないではないか。之を例

えてみれば、入浴は外部の清潔法で、風邪は内部の清潔法と思えばいい。つまり皮膚に溜った垢を落とす

のと同様体内に溜った垢を落すのである。だから痰や鼻汁、汗も垢である。勿論皮膚は人間の手で洗える

からいいが、腹の中はそうはゆかないが、自然は有難いもので、風邪という方法で洗い落されるのだか

ら、何と造物主という神様が巧く造られたものではないか、としたら実に風邪様々である。だから出来る

だけ風邪を引くようにすればいいので、之が先ず一番の健康法である。つまり神様の造った健康法であ

る。従って此理屈が分っただけでも、心配は半分以上減って了うのは当然で、反って手当てなどせず放っ

ておくに限るので、それで迚も順調に治るから、今度風邪を引いたら試してみればよく分る。而も体内が

清まる以上、其後は段々風邪を引かなくなる。処が斯んな簡単な理屈が今日迄分らなかったという事は実

に不思議で、人間位愚かなものはないと私は思っている。という訳で風邪を無暗に恐れ、引いたが最後余

計な金を使い、仕事もせず散々苦しんだ揚句、結核などになるのだから、憐れなる者よ汝の名は人間也と

言いたい位である。そればかりではない茲に問題なのは薬である。前記の如く体内の清潔法を逆解して停

めようとするのが医学であり、其為用いるのが薬と称する毒物である。凡そ世の中に本当の薬というもの

は一つもない。強いていえば先ず米の飯であろう。之は人間が生きてる以上、一日も欠かすことが出来な

いからである。だから今日薬といって有難がっているものは悉く毒であって、毒の力で治るのを邪魔する

のだから、之程間違った話はあるまい。ではどうしてそんなに間違ったかというと、清潔作用の苦しみが

薬で一時楽になるから、それを治るものと錯覚して了ったからである。とすれば薬というものは全く禁断

の木の実であろう。

 処がまだ大変な事がある。それは薬毒は体内へ入ると大部分は残って了い、何年、何十年経っても外へ

出ないで、体内各局所に固まって了うのである。それに清潔作用が起る。それが風邪であるから、其儘放

っておけば必ず治るものを、態々薬で拗らし余病を作ったり、悪化さしたりして、命迄もフイにするのだ

から、呆れて物が言えないのである。斯うみてくると病気の因は全く薬毒であるから、人間は薬を廃め、

出来るだけ風邪を引くようにすれば、年中無病息災となり、長生きする事請合いである。

 此様な素晴らしい人類の誤りを私は発見し、而も浄霊という薬毒排除法まで教えるのであるから、私の

事業たるや、如何に大きな救いであるかが分るであろう。私の唱える病貧争絶無の地上天国を造るなど

と、偉そうに曰うのも、満更法螺でない事が肯かれるであろう。
posted by バル at 15:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

病気とは何ぞや

アメリカを救う

 私は標題の著書を目下執筆中であるが、左の一文はその中の一項目で、参考になると

思うから、載せる事にした。

病気とは何ぞや

 序論にもある通り、現在米国における病気の漸増は何がためであるかを、その根本か

ら説いてみるが、まず病気なるものの発生原因であるが、驚くなかれ病気というものは医

療が作るのであって、特に薬剤がその中心をなしているという事実である。つまり病気を

治し、病人を減らそうとするその方法が、反対に病気を治さないようにし増やしているとい

う、到底信じられない程の迷盲である。そうしてこれは説明の要のない程明らかであるに

かかわらず、それに気が付かないのであるから、全く二十世紀の謎といってもよかろう。

それどころか益々医学に信頼し、これを進歩させれば病気は解決出来るものと固く信じて

いるのである。ではそのような不可解な原因はどこにあるかというと、それは医学の考え

方が逆になっており、病気をもって悪い意味に解釈しているからである。それをこれから

徹底的に解説してみよう。


 本来人間なるものは、生まれながらにして例外なく先天性毒素と後天性毒素とを保有し

ている。先天性毒素とは無論親からの遺伝であり、後天性毒素とは生まれてから体内へ

入れた薬毒である。というと何人も意外に思うであろう。何となれば昔から薬は病気を治

すもの、健康を補うものとの観念が常識となっていて、良い薬さえ出来れば病気は解決す

るものと信じ、それを医療の主眼としているからである。特に米国は薬に最も重点を置

き、新薬発見に非常な努力を払っているのは誰も知る通りである。ゆえにもし薬で病気が

治るとしたら、病気は漸次減らなければならないはずであるのに、逆に益々増えるのはど

うした訳か、これ程理屈に合わない話はあるまい。元来薬というものは、地球上ただの一

つもないのであって、ことごとく毒物であり毒だから効くのである。それはどういう意味かと

いうと薬という毒の作用によって病気症状が減るから治るように見えるので、実は治るの

ではないのである。


 では薬がなぜ毒物であるかというと、そもそも人間が口へ入れるものとしては、造物主

が人間を造ると同時に生を営むべく用意されたのが食物である。そうして食物にも人間が

食うべきものと、食うべからざるものとは自ら別けられている。すなわち食うべきものには

味を含ませ、人間には味覚を与えられているのであるから、人間は食いたいものを楽しん

で食えば、それで栄養は充分摂れるので、これだけを考えても造物主の周到なるは分る

はずである。この意味において生きんがために食物を摂るというよりも、食物を摂る事に

よって生きてゆけるので、ちょうど生殖と同様子を得る目的で男女が営むのではなく、別

の目的の営みで偶然子は授かるのであるから、神秘極まるものである。


 右のごとく人間の体内機能は、食物として定められた物以外の異物は完全に処理出来

ないようになっているので、薬は異物である以上含まれている栄養分だけは吸収される

が、他は体内に残ってしまう。これが薬毒であって、しかも厄介な事にはこれが各局部に

集溜し、時の経つにつれて固結してしまう。その集溜個所としては神経を使うところに限ら

れている。神経を使うところといえば、もちろん上半身特に首から上で、頭脳を中心とし

眼、耳、鼻、口等であるから、そこを目掛けて毒素は集中せんとし、一旦頸の周りに固結

する。いかなる人でも頸の周り、肩の辺に必ず固結をみるであろう。これが凝りであって、

ある程度に達するや自然排泄作用すなわち浄化作用が発生する。その場合発熱によっ

て毒結は溶けて液体となり、咳、痰、鼻汁、汗、下痢、熱尿等になって排除されようとす

る。これを名付けて感冒というのである。


 ゆえに感冒とは毒素排除の過程であるから、少し苦しいが我慢して自然に委せておけ

ば順調に排泄され、体内は清浄化し治るという実に結構なものであるから、感冒とは全く

簡易な生理作用で、神の摂理であるから、大いに感謝すべきであるにかかわらず、それ

を知らない人間は、この浄化の苦痛を反って悪い意味に解釈し、これを止めるべく考え出

したものが医療であるから、いかに間違っているかが分るであろう。そうしてこの浄化作

用なるものは、人体の活力が旺盛であればある程発り易いので、これを停めるには人体

の活力を弱らせるに限る。そこで薬と称する毒を用いたのである。昔から草根木皮、鉱

物、動物の臓器等から探り出し、煎じたり、粉末にしたり、抽出したりして水薬、丸薬、塗

布薬、注射薬等色々な形にして浄化停止に応用したのである。それには毒が強いと生命

に関わるから、微弱にして、少しずつ服ませる。このため一日何回などと分量を決めたの

で、よく効く薬とは中毒を起さない程度に毒を強めたものである。


 このように薬毒をもって溶解排除せんとする毒素を固めて来たので、今日の人間がい

かに有毒者であり、病気が起り易くなっているかは、近来予防衛生などとやかましく言った

り、感冒を恐れるのもそのためである。また人間の寿命にしても六十余歳となったといっ

て喜んでいるが、これも大変な誤りである。というのは人間病さえなければ百歳以上は楽

に生きられるのに、百歳以下で死ぬのは病による不自然死のためで、無病となれば自然

死となる以上、長生するのは当然である。右のごとく医療とは病を治すものではなく一時

的苦痛緩和手段で、そのための絶対安静、湿布、塗布薬、氷冷、電気、光線療法等々す

べての療法は固め手段ならざるはないのである。その中に一、二異(ちが)うのは灸点と

温熱方法であるが、これも一時的熱の刺戟によって、その個所へ毒素を誘導させるの

で、楽にはなるが時間が経てば元通りになるから何にもならないし、またラジウム放射で

癌を破壊する方法もあるが、これも癌だけの破壊なら結構だが、実は組織をも破壊してし

まうから、差引プラスよりマイナスの方が多い訳である。


 以上のごとく現在までの療法という療法は、徹頭徹尾固め方法であって、治す方法とは

毒素を溶かして排除させる以外決してないのである。何よりも医師は治すとは言わない。

固めるというにみて明らかである。しかも固め方法の内最も有効なものが薬であり、その

薬が病原を作るのであるから、医療を受ける程余病が発り易く悪化するのは当然であ

る。その結果ついに生命の危険にまで及ぶのである。それについてこういう事がある。治

そうとして熱心に高貴薬など用いる患者程成績が悪く、その反対にどうでもいいと思う患

者程治りがいいという話は、医師からよく聞くところである。また衛生に注意する者程弱

く、無頓着の者程健康である事や、医師の家族や病院の看護婦などが多病であるのもよ

く聞くところである。面白い事には稀な健康者、長寿者に訊いてみると、自分は病気した

事がないから、医師や薬の厄介になった事はないなどというが、吾々からみればそれだ

から健康であり、健康だからそうであるので、この点大いに味わうべきである。
posted by バル at 14:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

苦痛を緩和すればする程病気は悪化するのである

病気と苦痛


人間一度病気に罹るとする。病気に罹ったと言う意識は苦痛である。言わば病気即苦痛である。然し苦痛

にも色々の種類がある。これまでの医学は病気と苦痛を同じものにみていた。それが為苦痛を緩和すれば

それだけ病気も緩和すると思っていた。此の考え方が根本的に間違っている。それを説明してみよう。茲

で最も多い感冒を取上げてみるが、先ず熱が出るとする。頭が痛いから氷で冷すや幾分楽にはなるが、そ

れは病気が軽減したのではない、苦痛が軽減したのである。これが根本的誤謬である。それは病気と苦痛

とは別々のものであって、実は苦痛を緩和すればする程病気は悪化するのである。此の説を見た現代人は

余りの以外に唖然とするであろう。然し、これこそ絶対動かす事の出来ない真理であって、これを基本と

しなければ真の医学は生れないのである。以下解くところによって何人と雖も衷心から納得して一言の否

を唱うる事も不可能であろう。昔の人が、自惚れと瘡気のない人はない、と言ったが誠に面白い比喩であ

る。実際どんな人間でも先天的毒素を保有していないものは一人もないと言っていい。而も毒素保有量は

予想外に多いものである。此毒素とは薬剤の変化したもので我等は薬毒と云う。此薬毒に就ては別の項目

に詳説するが、兎も角右の保有毒素は新陳代謝の活動によって、体内の各所に集溜する。そうして時日の

経過に従がって漸次固まってしまう。毒素の集溜の個所としては神経を使う局所であるから、何と云って

上半身、特に首から上である。頭脳を始め、目、鼻、口、耳、咽喉部等々で、これは目の醒めている間

殆ど休む事はない。特に最も神経を使う処は頭脳であろう。従而、全身の毒素は頭脳に向って不断に集溜

すべく動いており、首の周囲に最も集溜するのである。それは、目、鼻、口、耳などの神経も実はその根

源が頭脳にあるからである。殆どの人間が首の周りにグリグリや塊りが出来たり肩が凝ったりするのは皆

その為である。処が右の如く漸次固まった毒素が頂点に達するやどうしても健康に支障を及ぼすので、こ

れの排除作用が始まる、これを浄化作用とも言う。造物主は浄化作用に当って巧妙を極める。それは先ず

最初発熱する。此熱で塊りが溶けるのである。即ち溶けて液体となった毒素は、一瞬にして肺臓内に入る

や、間髪を容れず咽喉を通って外部へ排泄する。これが喀痰である。喀痰を排泄するポンプ作用が咳と思

えばいい。但し後頭部から延髄部付近の毒素は鼻汁となって鼻口から出る。そのポンプ作用がくしゃみで

ある。咳の後には痰が出、くしゃみの後には鼻汁が出るにみても明らかである。又、首から下の毒素は液

体となって排泄される、それが寝汗である。又頭痛とは液体化した同素が何れかの口を求めて排泄されよ

うとし、神経を刺激する、それが痛みである。その毒素は肺臓目がけて流入し、痰となって出るのであ

る。何よりも吾々が頭脳を浄霊するや、瞬時に咳と痰が出、頭痛は減るのである。又節々の痛みとは、人

間は常に手足を屈折するので、間接へ固まり、それの浄化が痛みである。

 右の如く、人間の病気とは、溜った汚物の掃除である事を説いたのである。従而、実は感冒程有難いも

のはない。という事は、病気程有難いものはない。という事は、病気程有難いとも言えよう。此理によっ

て健康不良の原因は汚物の溜った為で、病気という清掃作用によって浄められ健康を回復するのである。

従而、病気の苦痛は有難い苦痛なので、言わば清掃作用であるから、此苦痛を手をつけずにそのままにし

ておけば甚だしい苦痛はないのである。処が、医学は病気の苦痛を悪い意味に解釈し、止めようとする。

言い換えれば、自然に出るべきものを出さないようにする為、自然と人力との衝突が起り、苦痛が増大す

る。此自然抑圧法を治病の方法と錯覚し、進歩し来たったのが今日の医学であるから、如何に誤っていた

かが知らるるであろう。以上の如く、毒素が局所に固まるや浄化作用が起ると説明したが、これには条件

を必要する。その条件とは、毒素を排泄する活動力、即ち浄化力である。此浄化力こそ或程度の健康体、

即ち新陳代謝が旺盛でなくてはならない。之を逆に解した医学は浄化発生を停止させようとする。それに

は新陳代謝を弱らせなければならない。それは健康を弱らす事である。その方法として唯一のものは薬剤

である。元来薬剤とは、実を言えば毒物である。毒だから効くのである。と云うと可笑しいが、毒を服め

ば身体が弱る。弱っただけは浄化も弱るから、それ丈は苦痛が減る。それを錯覚して薬で病気が治るよう

に思ったのが既成医学であった。薬剤に限らず、凡ゆる療法も同一で、熱があれば氷で冷し、氷で冷して

折角溶けかかった毒素を元通り固めようとしたり、絶対安静とは運動を止めるから弱らすには何よりであ

る。病人でなくとも健康体でも数ヶ月も絶対安静すれば胃は弱り、食欲は減退し、手肢は使わないから痩

衰え、大病人になるのは必然である。いわんや病人においてをやである。又湿布であるが、之も弱体法で

ある。人体は口からの呼吸以外全身の皮膚面からも毛細管を通じて呼吸をしている。それを止めてしまう

のである。何よりも湿布をすれば熱は減り、その部の苦痛は軽減するという事は湿布面だけは浄化が停止

されるからである。
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